- hitoodoru kikaku
四国88か所巡り狂騒曲①
キャンプ場運営支援のヒトオドル企画です。
日経で四国88か所巡りについてこんな記事が紹介されました。シリーズのようです。
近年受け入れる側の肌感覚でお遍路さんの数が減っているとのこと。
まがりなりとも四国の観光産業に携わる人間としては、最大のコンテンツと捕らえていますので、大変興味があるところですが、この記事に出てくる数字には特に悲観していません。
逆にこの記事の視点で観光をとらえるとエライことになるよぉ、という観点で悲観的。
人数を追う観光分析は辞める!
観光立国を宣言してからの常識ではありますが、観光に携わっていない人はわかりかねるかもしれません。ただし、昨今では”生産性の向上”なども声高に叫ばれており、「数」ではなく、「額」が判断基準となっています。
数を追えば、世界で見ればバルセロナやヴェネツィア、国内でも京都や鎌倉など様々なところで「観光公害」「オーバーツーリズム」が起きています。
観光公害(かんこう こうがい)とは、観光がもたらす弊害を公害に譬えた表現である。
具体的には、現地住民が文化的に受け入れがたい行為の横行、プライバシーの侵害、観光客受け入れのための開発に伴う環境破壊や景観破壊、文化財や遺跡の想定を超えた傷みなどといったもののほか、車両の乗り入れによる震動・騒音・排気ガス・渋滞、ゴミのポイ捨て、その他様々なトラブルが考えられる。 Wikipediaより
私自身、もう10年ほど前に同様に新聞社のインタビューで数ではなく額でみる意識をしているということを云ったのですが、記事上では「数の増減に捕らわれることなく、大きい視点で」みたいな記事に変わっていたのを覚えています。
未だに観光地やイベントなどを来客者数や来場者数を物差しとして見ている節があります。
数は観光地の隆盛をみるにあたって一つの数字に過ぎません。それも単独で見てしまうと途端にミスリードを起こしやすい数字です。必ず他の数字と一緒に分析する必要があります。
100人から100円と2人から5000円、どっちが儲かる?
それでは、数ではなく額で見てみましょう。上記の例、どちらも10000円の消費額です。
それこそ10年ほど前に全国各地で「まちあるき」がブームになったことがあり、その時によく用いられた比較です。
「まちあるき」とは地元の方がガイドさんとなり、観光客を案内するというもので、「地元の人だからこそわかる」「だから誰でもなれます!」「あなたも空いている時間にどうですか?」など、一時期まちづくりの一手段として用いられました。
コンサルに丸投げしていた地域などは総じて残っていないですね。。。。残念ながら。逆に初期段階から仕組みづくりに注力したところは頑張ってらっしゃいます。
さてさて、消費額に話は戻しまして、上記の2例は両方とも1万円の消費額ですが、実際の儲けとなるのはどのくらいでしょう。
100人から100円というのは1団体と仮定します。どこかの地域の婦人会ですかね、バス3台でいらっしゃって、食事をして、その街並みを45分街歩きします。残り15分でお土産。
100人をガイドするとなると、ガイドは何人必要でしょうか?適正人数は1人につき10人ほどといわれていますが、その分、ガイドさんの人数が必要になります。
頭数で割る分、ガイドさんの儲けは少なくなってしまいますね。一人案内することによってもらえるのは10円、10人案内して、100円の取り分です。。
これが当時「ボランティアガイド」と呼ばれ、よく用いられた手法です。集合から解散まで1時間かかったとして、一生懸命勉強して人前でしゃべって時給100円。
恐ろしい話ですね。
では、逆に2人のお客様を5000円で案内したケース。同じ状況で考えてみてください。ガイドさんは一人ですが、お客様一人一人に対して丁寧なご案内が可能です。
細かい話ですが、100人いた場合、団体が故に柔軟な対応ができなかったりもしますが、2人ですと顔を見ながらのご案内で、お客様の要望に応えることもできます。
質の高い案内ができることによって地域の魅力を伝えることができると同時に一期一会の出会いを実感できます。ゴミやトイレも知れています。
ガイドさんは対価を頂くことができます。
ちょっと極端な例ですが、数を追わずに額を追う意味をご理解いただけたと思います。
結局観光とは?
実はそこを理解していないことが多いのかな、と思っています。
数を追うのが観光でしょ?という人が一定数いるようですが、観光は地域の稼ぐ手段です。儲けなければ意味がないのです。
儲けない観光は地域を疲弊させるだけです。
また、この事実と向き合っていない人が観光に携わっている場合、その地域の変化は更に衰退を招いている可能性が高いです。
